お墓参りは自分のため

久しぶりに実家の母を連れて、恵那山の麓までお墓参りに行って参りました。
ちょうどお彼岸だったので、近くの親戚が先に参っているだろうからと、墓石掃除用のお水も・お供えのお花も、いつもより控えめに持参したのですが大失敗(^_^;)なんとも寂しい限りですが、まだ誰も参っていなかったようで、お墓も汚れ・お花も枯れておりました・・・
母と二人で、熊手で落ち葉を掃いたり、墓石の汚れを掃除したりと、もくもくと作業すること約一時間。キレイになった墓前に、今年も母と一緒に手を合わせることができ、すがすがしい気持ちで帰ってまいりました(*^_^*)
母曰く「こうしてあなたに連れてきてもらえるのも、今年が最後かもしれないわね・・・」と(^_^;)いやいや、そのセリフ・去年も一昨年も、その前も聞きましたから(笑)まだまだ♡来年も再来年も、一緒に行きますわよーヽ(*^o^*)丿

お墓参りは自分のためにするもの
昔、ご住職さんのお説教に、お墓参りとはご先祖様のためでなく自分のためにするもの、というのがございました。
お墓をキレイに掃除してお参りさせていただくことで、自分の心が洗われるのだと。ワタクシも今回も、自分のためにお参りさせていただきました(*^_^*)
昨今は、お墓を参る習慣がなくなってきたり、お参りする人がいなくなって墓じまいをするしかないなど、お墓にまつわる諸々についても時代の流れを感じますね。先祖代々からの参るお墓があるというのは、実はシアワセなことなのだなぁーと、お墓参りのたびに感じているNATSUKO.でございます。